
15分 2人台本 男:1 女:1 著:メイロー
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桜
著:メイロー
登場人物
僕……男
彼女……女
現実と虚構のあいまいな、お話。
僕『入口から一番遠く、一番日差しの入るその席は、彼女のものだった。彼女はいつでも僕より早くその席にいた。放課後、どんなに急いで図書館へ駆け込んでも必ず彼女の姿がそこにある。枯葉一つ着けていない大きな桜の木が見えるその席で、彼女は同じ姿勢で本を読む。そして決まった時間に席を立つのだ。その17時40分までの数時間が僕と彼女が最も近づく時間だった』
僕『僕が勉強のために図書館へと通うようになってからひと月以上の時間が流れた。街外れにある公民館に隣接した小さな図書館は、大抵僕たち二人だけの空間となる。本を読む彼女と問題集を解き続ける僕。僕達の間に会話はない。名前も知らなければ、挨拶すら交わしたことがないかもしれない。窓際から一番遠い席に座る僕には、彼女の読む本が毎日違うことぐらいしかわからない。僕は彼女に対し、懐かしさのような感覚を覚えていた。いつだったか、どこでだったのか。僕は彼女に会ったことがあるのかもしれない。見覚えのない、この年上の女性に。だからかもしれない。学校が終わってから17時40分までのこの時間は、ありふれた日常のようで、どこか不思議な、何か特別な雰囲気を持っていた。それは誰かと秘密を共有した時のようなちょっとした興奮にも似ていた。彼女もこの、接点のない僕らの不思議な関係を楽しんでいる気がするのだ。だからこそ、僕は彼女に話しかけない。言葉を交わせば僕たちの時間が交わってしまう。それはこの妙に心地良い共犯関係に終止符を打つことになる。同じ空間を共有しながら同じ時間を過ごすことのない僕と彼女。ノートを走るペンの音と時折捲られる紙の音が、僕らの代わりに存在を主張する。ずっと続くと思っていた。僕がここに通い続ける限り、どこまでも変わらない関係だと思っていた。なのに、柔らかく冷たい僕らの関係は、唐突な彼女の言葉で均衡を崩してしまった』
彼女『桜、咲かないね』
僕『……え?』
僕『驚いてノートから視線を上げると、彼女は窓の外を眺め小さなため息をついていた』
彼女『なんで?』
僕『冬、だからじゃない?』
彼女『冬なの?』
僕『……うん』
彼女『じゃあ、なんで、あなたはここにいるの?』
僕『……受験生だから。大学、行きたいし』
彼女『三年生なの?』
僕『……一年生だけど』
彼女『桜、きっとすぐに咲くよ』
僕『彼女の視線は僕へは向けられず、春の兆しすら感じられない桜の木に向けられていた。僕は何も答えずに、ノートを閉じて席を立つ。既に浮き足立った小さな興奮は何処かへ去り、代わりに言い知れぬ恐怖が臍の下あたりにくすぶり始めていた』
彼女『きっと、すぐに咲く。そうしたら、笑ってね?』
僕『……僕に向けられた言葉なのだろうか? 僕は歩みも止めずに図書館をあとにした』
僕『二日後、僕はまた、いつものように図書館へと足を運んでいた。入口から一番遠い彼女の席は空席だった。彼女に会うことをどこか気まずいと思っていたはずなのに、ほっとしたと言うよりは、見えない隙間から風が吹き込んできたかのような情けない気持ちが沸き起こる。けれど、彼女の席はやっぱり彼女の席だった。僕はいつものように一番離れた席に座ろうとして、それの存在に気づいた』
僕『……メモ?』
僕『桜、咲いたよ』
僕『思わず視線を移した先には信じられない光景が広がっていた』
僕『なんだよこれ』
僕『艶やかな桜の花が力強く咲き誇っていた。窓を開ける。冷たい空気が皮膚を刺す。僕は窓を乗り越え、庭へと飛び出した。幹に近づき、手を触れる。この木だけが数ヶ月先の未来を生きているかのように暖かい』
彼女『綺麗だね』
僕『振り返った先、嬉しそうに微笑む彼女がいた』
彼女『やっと見れた』
僕『……え?』
彼女『やっとあなたと見れたよ』
僕『一陣の風が吹き抜け、視界を覆うように舞い上がった花びらに目を細める』
彼女『私と違って、あなたは毎日を生きる。だけど毎日を覚えているわけじゃない』
僕『なに?』
彼女『忘れなければいけないこともある。忘れた方がいいこともある。だけどお願い。今だけでいいから、思い出して』
僕『なに、を?』
彼女『交わることのないはずの線が交わった。だからきっと思い出せるよ。ううん。あなたは覚えているはず』
僕『だから何をーー』
彼女『もう一度、あなたの笑顔が見たいの。ただそれだけ』
僕『笑顔……?』
彼女『あなたはいつだって笑っていた』
赤ちゃんの笑い声
僕『これは、僕?』
彼女『覚えている?』
僕『覚えているわけがない』
彼女『あなたはいつだって笑っていた。どんなことでも楽しんで、どんなことにも興味を示して。楽しそうなあなたの姿が、私をいつも笑顔にしてくれた』
僕『そんなことない。僕は笑うのが苦手なんだ』
彼女『嘘。あなたはいつも楽しそうに笑っていた』
赤ちゃんの笑い声
彼女『それを見たみんなが笑顔になる。あなたが笑ったから、みんなが幸せになる』
僕『笑っただけだろ』
彼女『でも、今のあなたは笑わない』
僕『……それはーー』
子供の騒ぐ声
彼女『小さなあなたは元気にはしゃいでる。友達と一緒に走り回るのが大好きで、絵を書いたり歌を歌ったり、なんでも楽しむあなたはみんなのことが 大好きだった』
僕『そんなことない。僕は一人で静かに過ごすのが好きなんだ。走るのは好きじゃないし、友達なんかいらない』
彼女『嘘。あなたはいつも誰かと一緒だった』
僕『そんなことない』
彼女『ほら、小さなあなたが楽しそうにおしゃべりしている』
僕『喋ってるだけだ。絵も歌も、一人でだってできる』
彼女『でも、今のあなたは楽しくなさそう』
僕『……楽しいよ』
チャイムの音
彼女『ほら、学校が始まったよ。初めての学校。あなたは胸を躍らせ、何もかもが初めての世界に勇気を出して飛び込んだ』
僕『やっぱり、一人じゃないか』
彼女『そう、あなたはたった一人で向かっていった。誰一人、あなたのことを知らない世界に。飛び込んで、そして、たくさんの友達を作った。あなたの最初の友達覚えてる? あなたはたまたまトイレで隣になったあの子に「友達になろう」って突然言った』
僕『馬鹿みたい』
彼女『あなたが嬉しそうに、そう話してくれたんだよ? 私はもう可笑しくて可笑しくて』
僕『そうだっけ?』
彼女『そうだよ。あなたはいつも笑ってた。あなたの話を聞くのが私は好きだった』
僕『……キミは――』
彼女『あなたのその姿を見て私は頑張ろうって思えたの。新しい学校。知らない同級生。不安で不安で仕方がなかった。口下手な私じゃ、友達ができないかもしれないって。受験したことを後悔したりもしたよ。お母さんに、やっぱり公立の中学校に行きたい、なんていうわがままを言ったりもした』
僕『お姉ちゃん……?』
彼女『あなたのおかげで決心がついたの。あなたの姿を見て頑張ろうと思えたの』
僕『うん。僕も楽しみだったお姉ちゃんの制服姿。でも――』
彼女『叶わなかった。あなたと一緒にあの学校の桜を見たかった。あなたに「おめでとう」って言ってもらいたかった。あなたのようにたくさんの友達を作って、たくさんおしゃべりして、たくさん笑っていたかった』
僕『――うん』
彼女『すごく悲しかった。けどね、もっともっと悲しいことがあったの』
僕『もっと?』
彼女『そう。私がいなくなってあなたが笑わなくなってしまったこと』
僕『――っ!』
彼女『塞ぎ込んで、友達とも遊ばなくなって、笑うこともどんどん少なくなって。私のせいだ。私が死んでしまったから――』
僕『おねえちゃんのせいじゃないよ!それは僕が勝手に――』
彼女『でも、きっかけは私。私はもう一度あなたの笑顔を見たいの』
僕『僕も、おねえちゃんにずっと笑っていて欲しかった。僕のそばで一緒に』
彼女『お姉ちゃん、あなたとずっと一緒にいるよ? いつでもあなたを見守ってる』
僕『でも、』
彼女『あなたが悲しければお姉ちゃんも悲しいし、楽しければ私も笑っていられる』
僕『――うん』
彼女『だから、お願い。もう一度、私に笑顔を見せて? 私を笑顔にしてみせて?』
僕『――でも、どうやって笑ったらいいかわからない。僕は何もできないんだ。面白い話もできないし、勉強も、運動も。誰かに褒められるようなことは何も――』
彼女『あなたはなんでもできるよ』
僕『何もできない』
彼女『あなたのいいところは私が全部知ってる』
僕『いいところなんてないよ』
彼女『たとえ、人より秀でているところがなくてもいいの。みんなと同じことしかできなくてもいいの。挨拶したり、話を聞いたり、ご飯食べたり、走り回ったり、絵を書いたり、歌を歌ったり、お昼寝したり。あなたがしたいと思うことを、少しずつでいいからしてみて。そうすればきっとあなたはあなたがなりたい自分に近づける。それは本当に少しずつかもしれない。でも、そうやって一歩一歩を大切にする自分をあなたはきっと好きになれる。そうすればきっと、あなたは笑えるよ。ただ、素直に生きればいいの』
僕『……どんなことでもいいの?』
彼女『あなたが本当にしたいことなら』
僕『わかったよ。やってみる』
彼女『私の分までたくさん笑って、たくさん泣いて、たくさん幸せになって』
僕『お姉ちゃん。あの、……ありがとう』
彼女『ふふ。笑えるじゃない』
僕『へへ』
彼女『……そろそろ時間ね』
僕『お姉ちゃん……』
彼女『私はずっとあなたを見守ってる。幸せにね』
僕『うん! 僕、頑張る! もう、お姉ちゃんを悲しませたりしない。約束だよ、僕は』
僕『冷たい風が吹き抜け、僕は図書館の机で目を覚ました。図書館には誰の気配もなく、あの女性の姿もどこにもなかった。……夢、だったのだろうか。そよ風に誘われ、視線を向けると、いつの間にか窓が開かれていた。僕は小さくため息を吐くと立ち上がる。窓から見える桜の木は相変わらず枯れたように茶色一色だ。ふと、窓方に色鮮やかなものが落ちているのに気づいた。……一枚の桜の花びらだった。花びらは僕が確認したのを待っていたかのように、風に攫われ空へと飛び立つ。思わず手を伸ばしたけれど、それはどんどん高く上り、やがて寒空に吸い込まれるようにして消えていった。僕は、逃げたりしない。自分を好きになれるよう、頑張るよ。約束だ』
ドアの音
僕『あ、こんにちは。今日は珍しく遅かったんですね』
僕『ちゃんと笑えているだろうか? 今はぎこちない笑顔だとしても、きっとちゃんと笑え
るようになるはずだ。素直に生きよう。あの頃の僕みたいに』